働き方改革について

根本的に自由を得るには、根本的な変化と現実的な変化がセットで達成しなきゃいけない。なぜなら、その根本的な変化を可能にする技術を習得するためには、根本的な変化を可能にする技術を学びながら、それを継続可能にする現実も必要だから。言い換えれば、日々の生活と会社生活がガラリと変えれる様を見せて、裁量を得る必要がある。居心地よく生きる場で生きる場を得るとき、場を作り出す自分、人、環境は、セットで変化する。

家という環境を変えるには、会社での僕の可能性を提示するのが妥当な方針である。したがって、主として会社での生き残りをかける必要があるけど、生き残って何かを為すには、突き詰めると、観点を共有ライブラリとしてお互い必要なときに道具として使える仕組みが必要で、そのためには結局大なり小なり組織の変革を起こすことになる。変革への合意を妨げるNoをYesに変える技術の習得と実践により、目の前の相手が仮にトラウマを伴う価値観から強烈なNoを突きつけたとしても、それを変えていけるので、僕たちは最高のパフォーマンスと関係性を得る。当然お金も仕事の依頼も、人に引っ張られてこちらに回ってくる。根本的な変化を可能にする技術の実践と現実の変化は、分かち難く結びついている。

そのへん、ちゃんと実証したいし、会社にいることを逆手にとって色々と実験したい感ある。

ちなみに今から書くことは僕が今いる会社とは関係ない話です。

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考えてみれば不思議なことで、足が悪ければ杖を使ったり人の手を借りる。必要なら、手を借りた相手を手伝うなりして、お返しをすればいい。ところが、一般には頭の一部が悪いときには、同じようには扱われない。単に、嫌がられるだけだ。

さて、これをどう考えていこうか。

身の回りに、こんなことはないだろうか?

部門の中では様々なノウハウがあって、暗黙知だったり、誰でも使えるツールとして部分的には共有資産になっていたりはするけど、実は他部門を見たら似たような資産が眠っていて、必要に応じてそれぞれで改修したりしているし、昔から根強く、個人に一通りのことができるよう求める空気がある。。。とか。もし、あなたの会社にはそのノウハウが全くないなら、つまり未開の地ならば開拓して、住居を立てて、居場所を得れば暮らしていけると思うけど、どうだろうか。

働き方改革のキモは、仕事の効率化と品質向上(バグが少ないとか、壊れないとか、セキュリティ的に安全だとか)だ。結局作る製品の質が悪かったら、やり直したり評判が落ちたりして収益悪化につながり、結局、いずれ効率化と品質向上をやるしかなくなるので、先行で対策を打ち出す必要がある。

仕事の効率化と品質向上を達成するためには、製品の性質とか、製品の作り方に関する様々な認識を道具にするしかない。つまり、観点を出し合って、それ全部を、誰でも使えるツールにすることが前提として必要だ。

もしそれができれば、個人の問題は解決しうる。例えば、設計書を書くのが得意な人と、プログラムを書くのが得意な人がいたとする。それぞれ自分の領域は得意だけど、他の領域はちょっと苦手だ。なのに、1人1人が設計からプログラムをやるのは効率的だろうか?別にそういう縦割り境界線を引く理由はなくて。2人分の仕事を、それぞれ得意なところをこなせば済むはずなのだ。

だから、次のことが必要になる。
働き方改革のために観点を出し合う必要性への合意。
・観点を出し合って、いろんなルールへの境界線を引き直すことへの合意。
・観点を共通資産化する技術を学ぶことへの合意。

つまり、観点の横の風通しを良くすることが、鍵になるだろう。そして、風通しを得て組織が本来の力を出すとき、目の前の相手が持っている決断という強烈なNoでさえも変えたことで最高のパフォーマンスを発揮する、最高に生き生きとしたチームが、顕現する。