(非公開)父への本音について
本音の開示について、以下の質問をもらった。
・お父さんのことをどう思ってきたのか?
根はやさしい、臆病、頑固、ずっこい、ごまかす、素直、ひょうきん、愛されキャラ、暑苦しい。
・両親の夫婦関係をどう思ってきたのか?
いつも僕のことで母を怒らせて、それで母と父が喧嘩になって、自分のせいで何も悪気がなくても、うっかり大事な人に嫌な思いをさせてしまって、喧嘩もさせてしまう。
お互いの立場で考えたら理解したり、受け入れたりできるはずなのに、どうしてそれを二人ともしないんだろう、悲しい。
いつまでも人のせいにして、不安や恐れの責任を人に取らせようとしていて鬱陶しい。
・今お父さんのことをどう思っているのか?
なんだかんだ、いつも応援してくれている。頑固、意地っ張り、見栄っ張り、アホ、優しい、真面目、臆病、好き。大好きなのと同じくらい、嫌な思いさせないか、すれ違ってしまわないか不安に思っている。でもやっぱりなんだかんだ、大好きだと思う。
・お母さんのことをどう思っているのか?
いつも腹が立つ。また何かヒステリーなるのではと不安になる。笑顔だったりおちゃめなところは可愛いと思う。人に責任を取らせようとしたり、わざわざ気持ちを逆撫でしようとしてくる感じに強い不快感を覚える、いつも苦労している、何が地雷のスイッチになるかわからなくて、不安になる。自分の不安を人に押し付けるように見える。ゆりかごの歌うたってくれたり、エレクトーンのウィンターゲームスが上手だったり、美味しい卵焼き作ってくれたり、明るい家を昔は作ってくれてて、昔は大好きだったと思う。今はなかなかそう感じにくい。不満とか怒りとかのほうが多い気がする。
・お父さんとどんな関係だと感じているのか?
まだお互いに正直で誠実な感じには、なっていないと思う。また愚痴に付き合わされるのでは、みたいな不安もある。一方で、これからもっとお互いに開示して、素直に正直になって、支えあうこともしてみたいし、していけると思う。
・お父さんに対して今まで何を避けてきたのか?
正直に自己開示することを避けてきている。正直に負の感情を伝えることを避けてきている。どんな関係になりたいかをイメージしたり、共有したり、心で支えることを避けてきたと思う。無力感や、拒絶感を、感じたくなかったのだと思う。
・お父さんのことが好きなのか嫌いなのかどちらでもないのか?
大好きだと思う。嫌なところもいっぱいあると思う。
・その理由はなんなのか?
僕のことを、なんだかんだ受け入れてくれているように感じる。
一方で、なかなか我流を変えようとしないこととか、嘘をついたり取り繕ってる感じに不信感を覚えたりもある。
本当のことを言ってない感じもよくある。悲しかったりイライラしたりする。
・お父さんが苦手か嫌いだったとしたら、その理由はなんなのか?
お母さんよりお父さんの方が正しいとか、お父さんよりお母さんの方が正しいとか、そういうのは僕はしたくないし見たくない。暴力的な言葉や、暴力的なエネルギー、あるいは実際の暴力で物事を動かそうとする感じに抵抗がある。母にはそうしてるけど僕には見せてない感じに、不安を覚えたりする。
・そうしている理由があるとすればなんなのか?
父がそうしている理由は、ちゃんとは知らない。聞いてみる。僕がこうやって避けたりニガテだったりをつかんでいる理由があるとしたら、楽しい関りや優しい関りは好きだけどそうじゃない関り。譲らない感じ無理やりな感じ。
・本当はどうしてほしいのか?
周りと戦ってて苦しそうに見える。だんだん元気がなくなっているようにも見える。楽に楽しんで、受け入れて生きてもらえたらと思う。
・本当はどんな関係を築きたいのか?
安心と信頼、愛でやりとりできる関係。
はてまた、お父さんの過去の話や、
どう生きてきたのか、
どんな苦労をしてきたのか、
僕のことをどう思っているのか、
これからどう生きていきたいのかなどの話も、自分の自己開示と同様に、聞くということであれば、
2日間みっちりそれに使います。ということも、素晴らしい判断だと思います。
自分とお父さんとよく向き合ってみてください。
本当に2日間、心塾を休む必要がありますか?
本当にそれだけの時間が必要ですか?
器が拡がるということ#2
久しぶりにどっと体調を崩した。
2日はひたすらに現実逃避していた。ほとんど誰とも連絡を取らずに、食って寝てゲームしてを繰り返した。
内観するのもイヤだった。内観せねばと思ったけど、もう無理だと思って放り出して寝ていた。
この逃避の中で一つだけ冒険があった。ある人と話した。
曰く、自分は自由人で、あれもせねばダメ、これもせねばダメというのはいかにも不自由で哀れだと言う。嘲笑?侮蔑?あるいは怒りもあるだろう。◯◯にあれこれ正しさを押し付けられるのに腹が立つ、過去の手痛い失敗からですら、◯◯は学んでないように見える、◯◯は自分を変える必要性を感じてないようだ、という感じだった。
はて、他人の言動に一喜一憂して、自分で自分の幸せを決められないあなたこそ他人に依存してて不自由そうだと、嫌味を言いたくなった。
僕も他人を変えたがっていると思った。自分を変えようとしてたら◯で、そうでなければ×だと思っている。ありのままの自分、ありのままの他人を受け入れてない。僕は僕で、自分の問題として心の課題に向き合ってない人、努力しない人を嫌悪している。それは、自分自身を含めてだ。正しいから◯、そうでないから×、という区分けを無くす努力をしてきたはずだった。
だけど、その努力をしてたら正しくて、そうでなければ正しくない、受け入れられない、という風に形を変えて繰り返していた。
より愛情深い人へ変わってきたと思っていたけど、善人風のやな奴がそこに居て、そんな自分は見ないふりをしてて、根っこでは相手を言いくるめて言い負かしてやりたいと思っている。
目の前のこの人と自分とでは何も違わない。まるで同じだ。
僕は、そんな自分も相手もいったん受け入れてみると決めて、言葉を選び始める。受け入れるを選択し直した自分は素晴らしいと思った。今後受け入れるをし直せない自分のことは、やっぱり受け入れない気がした。
自己評価を抜きに、ただやりたいからそうする、に行けば新しい◯×の境は無くなる。
次の目標はそこかなと思う。
愛と正直さ
長年凍ってた心の奥が溶け始めたようだった。
僕はずっと「そのままの自分でいい」「そのまま社会と関わってもいい」「困ったら助けてあげる」と、言ってほしかったんだと思う。
病院で先生に言ってもらった言葉の温かさがが心の底で響いてる。
いつも、不安になって迷ったら言うのをやめたり、相手に合わせて避けたりしてきた。受け入れてもらえないんじゃないかって、不安だった。
昨日からは、迷ったら「そのままの自分でいよう」「そのまま正直に沸いてきたものを開示しよう」を意識的にやりはじめた。不安な自分の怯えも感じながら、「不安は当たるかもしれない。きっと相手の立場とかあまり想像しなくなる。きっと空気は読まなくなる。きっとミスも増える。だけど、そのまんまでいよう。その代わり、誠実に愛を込めて対応しよう。もう、取り繕うのは疲れたじゃないか、不安に耐えて不信を抱えて生きるのは、疲れたじゃないか」と、そんなことを自分と話している。
恐れは受け止め、愛と正直さを選択する。
そういう生き方を、選ぶんだ。
揺蕩う
水の中へ深く深く落ちていくように
気持ちのそこへ潜っていく
お日様から溢れ落ちた心のカケラを
大事に大事に拾って
透き通る淡い熱
溢れ出る笑い声
ゆりかごの眼差し
海に抱かれて
心の奥にストーンと落ちた石の音
ベッドに横たわる私
昨日の夜から今朝にかけてベッドに寝転んで、自分の内側を眺めていた。やはり二層ある。そう思っていた。
この一年で得たのは、顕在意識での自己受容と自信だったと思う。だけど、潜在意識では自己否定し、自己不信し、「頑張らないと、ちゃんと存在しちゃダメなんだ!」と怯える小さな自分がしっかりと生きたままだった。
小さな自分はものすごく強くて、プラスのフィードバックや他の人からの愛情が受け取りづらくなる原因になっている。
ほぼ全く感じられなかった他の人からの愛情が、この一年間でかなり感じられるようになったなぁ、と思っていたのだけど、よくよく改めて観察してみたらまだ拒絶してる割合が大きい気がする。
この不安や不信を刺激して完了させようにも、これがなかなか骨が折れている。なかなかすぐにはどうこう変化しないかもしれない。
しばらく考えあぐねていたのだけど、在り方と行動の選択しかできないことを思い出した。そこで、ひとまずはこの現状を責めずに認めて顕在化した小さな自分を受容することと、この小さな自分を癒すことを決めた。
しかし今日、三層目をひょんなことで見つけてしまったのである。
病院の私
今日は久しぶりの診察だった。この長年抱えてきた自分責めや親しい人への憎しみ、あるいは存在を許されるために必死で生きて来たこれまでに対して、「◯◯さんは何も悪くない。ただ、その時はそうせざるを得なかったんです。」「今やっていることは全部正しい。ただ、こうあらねば、というところに無理に当てはめる必要はない。力抜いて、そのままのあなたで生きていけばいい。苦手なところはAIに手伝ってもらったり、親しい人とのやりとりが難しいなら僕が代わりに話をしてあげる。そのままで生きて大丈夫。」
というようなことを、言われた。その時何か、ずっと欲しかったものがストーンと届いた気がした。井戸奥にまっすぐ落ちて響いた、乾いた石の音のようだった。
顕在意識で頑張る自分を超えて
潜在意識で苦しみ抵抗する自分を超えて
さらに奥深くでずっと安心を欲しがっていた自分に
言葉が届いた。
僕はたぶん、生きてていい、困ったら側に居てあげる、大丈夫だと、ずっと言って欲しかったんだろうと思う。
僕が生きていくことに、僕はずっと、許可が欲しかったんだ。
再びベッドに横たわる私
帰宅後友人と話をしていて、もう一つ得たものがあった。
不安に怯えて生きる私は、いくらお尻を叩いても動かない相手を割と嫌悪する。ついつい、相手をどう変えるかみたいな発想になるのだけど、先日書いたBeing,Doing,Havingと、Be,Do,Haveの話に照らしてみると、行動を見直しやすくなることに気がついた。
Being,Doing,Having再び
これは自分の存在価値を決めるのが何かを表す。
現状、ただ在るだけでは価値が得られないから努力とかこのブログだとか、成果、あるいは承認によって、存在価値を得ようとしている。つまりDoingの状態。
そして、今日の病院での体験は、Beingへの変化を、部分的にせよもたらした。
- Having: 所有しているものによって自身の価値が決まる段階
- Doing: 行動によって自身の価値が決まる段階
- Being: ただ在るだけで自身の価値が決まる段階
Be,Do,Have再び
欲しい結果を得るために自分が選択できるのは、Be(在り方)とDo(行動)だけという話。
相手を変えようとする行為は、恐れのBeと、正解のDoによって、相手の変化Haveと自分の存在価値Haveを得ようとする行為。しかしHaveは自分でコントロールできるものではないのだから、存在価値がコントロールできなくて実は当たり前だ。
愛のBeなら、存在そのもので価値は満たされてるBeであって、そこから何でもやれることをやるDoを選択し、相手の幸せHaveにコミットする。存在価値は常に手の中にあって、目的のためにやれることを何でもやれる。
もう、全然違うんだ。今日の病院での体験は、やはり、愛のBeへの変化を、部分的にせよもたらした。
愛に抱かれて
感じたくないものを避けないことも必要だし、それと同じくらいに感じたいものを避けないことも必要なのかもしれない。人からもらっても、良いのかもしれない。
「まず、何を感じてもいい。」
それは大前提だと思っていたけど、安心して生きることを目指した先の、到達点でもあるのだろう。
器が拡がるということ#1
一見やってられないこの人生は
人生には避けたいもの、認めたくないものが、本当にたくさんあります。
生きていれば嫌なことはあります。ままならないことだらけです。
しかも確定でいつか死にます。死んだ先どうなるか知る由もありません。
四苦八苦という言葉があります。これは仏教用語で、生きる苦しみ、死ぬ苦しみ、病む苦しみ、老いる苦しみ、愛する人と別れる苦しみ、欲しいものが手に入らない苦しみ、憎い人と出会う苦しみ、身体も心も思い通りにならない苦しみを表します。人生は苦であるというのです。
一体人生ってなんなのでしょう?
人生の制約と自由
Be,Do,Haveという言葉があります。
- Be: 在り方
- Do: 行動
- Have: (所有する)結果
例えば、相手を想いやる自分で、プロポーズをして結婚してもらうなら、
- Be: 相手を想いやる自分
- Do: プロポーズして
- Have: 結婚する。
ところで、Haveって、自分がどうにかできるのでしょうか?結婚に至るかどうか、いったい誰がどのように保証してくれるのでしょう?
そうです。我々には結果を制御できません。ただ、在り方と選択の余地が示されているだけです。
どんなゲームにも芸術にも、まず制約があり、その中でより価値を創り出そうとします。
死を運命づけられている僕らが、現実の制約と無限の可能性との狭間で、この人生をどう紡ぐのかが問われています。
恐れ滞り
在り方と行動の幅を増やすくらいしかないのですが、嫌な結果を避けようとすると避けなければいけないものが増えていきます。自分の中にも他人の中にも避けたいものがたくさんあるから、自分や人を嫌いになるかもしれません。
降伏
嫌もの、避けたいものと戦い疲弊する人生を変えるためのキーワードは、「降伏」です。
降伏は3つの要素からなります。
- 可能性ややりたいことへ焦点を当てる
- 不安や抵抗を感じてもいいと決める
- 抵抗を手放し認める、受け入れると決める
可能性を信じて、やりたいことを目指して飛び込んでみます。最初の一歩はいつでも小さいです。でも一歩一歩を歩んでみると決めます。最初はできないこと、うまくいかないことがたくさんあります。でも全然大丈夫です。誰でも初めはへたっぴです。
降伏したら抵抗する必要はなくなります。避けなくてよくなります。起きていることや現状を、ただ見つめてみます。湧いてきたものは抑えずに全部感じます。すると、「あぁ、今はこうなんだな」と受け入れることができ、そして避ける必要もなくなってるので「じゃあどうしたい?」と自分の声を聞けるようになります。
四苦八苦で良いのです。一つ一つ降伏して受け入れていく中で、また一つ、また一つと、器が拡がっていくのです。