癖と決断
僕は、振る舞いと構造の間に断崖絶壁みたいな境界線を感じる。それがなにをもたらしたのか。
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好きな場面だけを見ていたいのに、現実には人は百面相で、ときどき見たい場面とズレてしまって辛くなる。その仕組み構造もわからない。
人と一緒に楽しい場面は共有できない。ときどき、辛くて痛くて怖くて寂しくて憎い。僕以外の人たちだけで楽しい場面を共有しているなんて、ズルくて嫉妬する。
でも人のことは、人の振る舞いの背景にある仕組み構造がわからない。僕はきっと、好きな場面と出会うことはないんだろう、ならせめて、好きな場面を妄想して引きこもろう。
それが古い軸。
その軸から放つ言葉は、自分の耳が喜ぶためのモノローグになっている。