人間とは、世界とは、なぜ人は生きるのか

人間とは

人間とは境界線を引く存在だ。自分とは何か?と聞かれたら、これは自分、あれは自分でない、という具合に考えて、自分の内と外を分ける。つまり境界線だ。何がリンゴで何がリンゴでないのかも同様で、全て存在とは人間が引いた境界線でできた仮想現実である。

宇宙とは

リンゴを見て、なぜ日頃は原子を思わないのか。リンゴは原子でもあるけど、リンゴとしか見ないことが、人間の知覚の限界を示している。人間は境界線を引くけど、善悪の境界線も引くので仮想現実は常に戦争を孕み、境界線は戦線となる。従って、この宇宙とは戦争状態の仮想現実、要は思い込みである。

生まれてきた目的

生まれてきた目的は、自分とは何かを考えれば自ずと演繹できる。まず自分はXだと仮定すると、「「自分はXだと仮定する」自分」が含まれないことになる。つまり、自分を規定してしまうとそれは自分そのものを含み得ないため、自分は認識不可能である。つまり真の自分とは、認識不可能な、思い込む主体である。自分の引く境界線無くして宇宙は無いので、宇宙と自分とは不可分である。まとめると、自分と宇宙を思い込むことで、真の自分は認識不可能であるということがわかった。真の自分について言えるのは、思い込むことで、真の自分を認識不可能と規定することに成功した、ということだけだ。従って、真の自分の規定こそが生まれてきた目的であり、その手段は思い込みであることがわかる*1

歴史を超えて

このことは、人間の尊厳を回復する歴史的変化をもたらす。なぜなら、全てが思い込みで真の自分が認識不可能であるとわかるので、現実に自分は認識不可能だと気づくと同時にあらゆる絶望苦しみ生老病死は当然に雲散霧消するからだ。認識不可能故に唯一絶対の共通土台になる。そこから、自分も宇宙も、思い込みを道具にして新しい生を始めることが可能になる*2

自己についての説明は、下記を参照。東洋哲学、神秘主義、心理学を統一的な視座から解析し、自己の本質との関連、真の自己を論理で示すすごい本。

無境界―自己成長のセラピー論

無境界―自己成長のセラピー論

*1:他の説明方法も可能だと思うかもしれないが、その説明が唯一絶対言えることかどうか。

*2:映画マトリックスから考えてみると、また違った見方ができる。マトリックスの中にいて、マトリックスの目的や仕組みを理解することはないので、マトリックスの中でマトリックスを説明しようとすると、認識不可能とか、この意識を成り立たせる摩訶不思議な仕組み、としか言えない。映画の中では、マトリックスは本当の自分が知りたいわけではなく、人間をつかって発電するために栽培していたけれど、マトリックスの中にいて言えることは何かと考えてみると、そもそも言えない。そんな事情や事実は、マトリックスの外にいなければわからないことだ。逆に、マトリックスからマトリックス内の人にアクセスして、マトリックスはなにかを伝えることはできるだろうか?実際、啓示ぐらいしかマトリックスの伝達手段はないのでは?この、思い込みよる創造論は、結局は現実をよく生きるための方便であり思い込みである。いずれにせよ認識不可能について、その意味価値について語っているのだから。ただ、マトリックスが内部の宇宙と自分との存在を感じさせるのだから、マトリックスは思い込んでいるという説明は、マトリックスの内に関してうまく説明しているとも言える。マトリックスから出られず、マトリックスの中で苦しんでいる人たちを、マトリックスの中で助けるためことを考えたら、案外悪くない説明方法なのではないだろうか。