成長

成長するって何でしょう。

小さいとき、母に怒られて部屋に入って自分を責めていたことがありました。しばらく自分を責めていたら許してくれたので、「◯がもらえないなら、自分を罰し続けなくちゃいけない」というのが、僕の人格に、根本には「愛されたいけど、愛されない」が、備わることになりました。

成長して、15歳のときに書いた卒業論文を見たら、トラブルを避けるために、物事を認識するにゃ自分の解釈がいるからそれを自覚して、いろんな価値観を認めて妥協点を探ろうてなことを書いていました。当時は色々としんどかったこともあって、必死で考えて背伸びして書きました。まとまらない頭と心にムチを打って滲み出てきた願いの欠片、血の宝石みたいな文章でした。自分と両親に宛てて、今より何か良くなるようにと願いを込めました。

僕にとって生きるということは、人を疎み、人に疎まれ、痛みと憎しみの中にいることであって、そうならないように誤魔化す、つまり◯もらうために必死で欺くべきものでした。勉強するのも、何か技術を身につけるのも、◯がもらえないことに怯えて、自分に脅されてやることだったので、純粋な好奇心にある程度助けられてはいたけれど、なんだかぐちゃぐちゃに摩耗し続けていました。

本当はただ、この生を大切なものだと尊びたかった。その方法が知りたかった、ただそれだけでした。

周りには、勉強して受験してドコソコ大学に行くのが重要だと言われました(周りが悪いわけではありません、念のため)。僕の悩みや苦しみは、単なる思春期にありがちな感情論だったそうです。反論すれば、目には目の報復。黙すれば、弱り目に祟り目の追撃。一体誰が味方なのでしょう?攻撃すれば人は素敵に成長するとでも?あなたは殴るほど立派な大人になるんでしょうか?試してみてもいいですか?

尊厳を誰かに認めて欲しくて、愛された過ぎて、でもだれも愛してくれません。死にたくて仕方がなかったから、死ねるようになる努力もたくさんしました。でも、あまりに苦しくて狂った僕が居たことを覚えて悼んでくれそうな人が居ないことが無念で無念で、ただひたすらに無念だったから、僕はいっそ、好いた人をひどく傷つけたくなりました。そうしたら、この苦しんだ僕が存在していたことを、その人が覚えていてくれるからです。殺意と親愛の情と自己嫌悪に塗れ、苦痛はさらに増しました。日増しに高まる殺意はとどまるところを知らず、どうしようもなくなる。明日自殺しますと宣言して、のうのうと翌日学校に行ったこともあります。僕は自分の心を殺す決断をしました。あの子に、今まで僕は君から優しい言葉をかけて欲しくて利用していただけなんだ、変わりたいと言ったのは全部嘘だと送ろう。そうやって、これ以上なく傷つけたら、愛される可能性が無くなり、彼女を殺す理由が無くなる。心の最後の生命線を失い、自分に失望するあまり僕は僕を殺すだろう。この独善的極まる方法で彼女を守るのが、僕の最期の自尊心、最期の正義だと自分に言い聞かせて実行しました。

私を疎む人はたくさんいましたが、それが、この恐ろしい毎日から逃れて、安心して、尊厳を、たった一滴だけでもいいから回復したいという、痛切な渇望と飢餓感からだということは、だれも知りませんでした。自覚はしていたし、助けを求めたこともあったけど、この気持ちには誰も気づいてくれなくて、どこに行っても誰に頼っても安心できません。どこから水面に顔を出そうとしても水面が見つからないような窒息感と失望、徐々に無気力感に喰われていくような感覚を覚えています。僕はずいぶんメンドウな成長を果たしていました。「◯がもらえないなら、自分を罰し続けなくちゃいけない」は進化して「私に◯をくれず、私自身への罰から解放してくれないお前たちが×だ」を備えるようになり、ほとんど四六時中、人間関係において、自分も相手も等しく価値を否定すべき存在と見なすようになりました。

成長するって何でしょう?

成長には大きく分けて2つある、と思います。1つは、自分にとって◯の割合を増やすために、能力開発をすること。これは頑張りました。みんなこれを頑張ります。だけど、◯がもらえず、×ばかりもらうと、本当に大変だ。僕の場合、あまりに◯がもらえず辛かったので、自分で自分に◯をつけるために、他人を憎む道を選びました。そうでもしないともはや◯を得る手段を他に思いつかない切迫感と飢餓感は、言葉にならない。しかし、ひとから×をもらうことは絶対に避けたかったので、憎しみを積極的に表明することはせず、消極的に保持し、抑圧し、苦しい人生を生き続けることが復讐になるように、理論武装しました。他人に自分が×をつけると、相対的に、一時的に自分が◯を実感できます。こんな具合に、×を◯に変えようとして能力開発する成長、変化は、大げさに聞こえるかもしれないけど、単なる地獄でした。人に疎まれること甚だしかったししんどかったので色々と知識をつけたけれど、心理学的な判断基準を得たことで、結局苦痛は倍加しました。自分に×をつけるのをやめる努力をして、やめれない自分に×をつける習慣が身について、成長したのは地獄の方でした。もちろん「正しい」価値観を身につけようとして自分の感覚は間違ってるんだって自分自身を非難しつづけましたが、当然、全くうまくいきませんでした。周りの人は正しい価値観は教えてくれましたが、どうやったらその価値観に変化するかは教えてくれませんでした。「正しい」価値観を理解しない僕は疎まれた。「正しい」価値観を教えようとして、僕に◯×評価をする大人は全て、当時の僕の敵でした。

もう一つの成長は、判断基準それ自体の変化です。判断基準を変化、運動、移動させる、技術による変化です。

この変化の物語は、今いろんな道草しながら歩いて紡いでる最中なので、まとまったらまたどこかでシェアします。私みたいなどうしようもない人たちにこそ届くコンテンツになるよう、歩みを進めたいと思っています。